「かくれんぼ。」は絵画構造に関しての戯画② My work, "Hide and Seek." is a caricature about the structure of painting.②


<「かくれんぼ。」360°動画>

少し時間が空いてしまいましたが、前回の続きを書きたいと思います。

今回は「かくれんぼ。」の鳥獣戯画(※)を引用した理由表面に描かれた内容についてです。

 

※ 鳥獣戯画は「鳥獣人物戯画」とも言われますが今回は鳥獣戯画に統一します。

 

 

 


「戯画」と要素と「線」の最高峰の表現として鳥獣戯画


 

当時、私が絵の中のモチーフに鳥獣戯画を選んだ理由は、戯画であったこととその線の美しさです。

 

 まず、「線」についてですが、「かくれんぼ。」は「絵画構造に関しての戯画」ということから、「描かれる動物は線として見えると同時に像として見えてほしい」という意図がありました。

その意味で、平面的な輪郭線を描く必要がありました。

ちょっと、分かりづらいので書道で説明します。

書道の線は部分で見ると純粋な線としての美しさがあり、全体でみるとその文字の意味が分かります。

また、それらは二次元の表現です。

このように線して美しく、像としても認識できる、二次元的な表現が作品の意図として必要でした。

 その表現の最高峰の1つとして「鳥獣戯画」が私の中でありました。

また、「かくれんぼ。」の画面の地面は3次元的な奥行きや影があります。

2次元的に描かれた動物が、3次元的空間に混在するという違和感も、私にとっては重要な要素の1つでした。

それは、西洋的な3次元空間の表現と、東洋的な2次元空間を繋ぐ要素であり、私が絵画を学ぶ上で経験し表現したいことの1つでした。

 

 次に、「戯画」についてですが、例えば「かくれんぼ。」で描いた動物を人物に置き換えることも出来ます。

私がなぜ人物を描かなかった理由は、「それぞれが行っている行為に抽象性を持たせたかったから」です。

言葉で説明するとなかなか難しいのですが、それぞれの行為を行っている人物ではなく、「行為そのもの」に注目させたかったと言い換えられます。

人物が遊んでいる場合は、それほど違和感はありませんが、戯画として扱うことで行っている行為そのものへの違和感や、注目をしてもらい、思考してもらいたいという意図がありました。

「鳥獣戯画」自体も、元々どのような目的で描かれたかが分からない、不思議な作品です。

 

また、戯画という表現はこの作品が絵画構造にについての作品であることを「隠し」、一見するとただの面白おかしい表現に見えるようにもなります。

例えば、仙厓の絵は一見すると、とても面白く親しみやすい表現ですが、そこには禅宗の教えが込められています。

 


具体的に描かれたものについて


 

画面の全ての説明はしませんが、上の画像の描いたものについて説明したいと思います。

 

 まずは、画面左のウサギとカエルについてです。

カエルが地面の穴に入っていて、右手で穴の蓋を持っています。

ウサギは棒を持っていて、棒の先端はカエルの穴の縁に触れています。

このカエルが入っている穴には2つの意味があります。

それは、この穴はこの画面上の世界で「本当の穴」なのか「描かれた穴」なのかということです。

穴は黒い輪郭線であえて2次元的に描いてあります。

つまり、この穴は「ウサギが棒を使って描いた、穴の絵」とも認識が出来ます。

カエルは実際に穴に入っているので、この画面上の世界で穴は実在するものになってはいます。

このような絵画構造上の曖昧さを表現しています。

 

 次に、見えづらいですが、画面中央に長方形が描いてあり、その左右と下から何か出ています。

これは背景の色と同じ壁を持っているカエルです。

背景と同化することで隠れようとしています。

つまり、背景という奥行きを平面としてに切り取っています。

西洋の古典的な絵画空間の奥行きは無限に続きますが、それに対しての近代以降や東洋の平面的な奥行きを表現しました。

 

 最後は右側のバケツをかぶったウサギです。

このウサギは背景と同じ色のペンキをかぶり、自分を隠そうとしています。

しかし、既に体全体が背景と同じ色なので、今思うと部分的に元のウサギの色が見えていたほうが表現として分かりやすかったです。

こちらも背景に溶け込んで隠れようととしていますが、このウサギは二次元な線で描かれているので、結局輪郭線が見えてしまっています。

 

 ちなみにですが、今まで「輪郭線」という言葉を使っていますが、「鳥獣戯画」などの日本絵画は現在の一般的な商業アニメのような「輪郭を区切る線、塗り分けをする境界線」という性質だけではありません。

その線には様々な抑揚があり、物の硬さや厚み、動きなどの様々な要素が含まれています。

そこが素晴らしいところであり、3次元の空間を線の要素で抽象化していることが認識できます。

 例えば、俵屋宗達の「白象図」の実物を見たとき、私は衝撃を受けました。

一言で言うと、「線に重みがあった」のです。

当時思った事をそのまま書くと、「うどんのように太く重い」という印象でした。

それは、線では無くて物質にみえました。

たしか、この作品の線の描き方は一回で描くのではなく、何回か塗り重ねていたと記憶しています。

その塗り重ねる工程で象の重量感を表現したのだと考えられます。

 

 

 前回と今回で私の初期の作品「かくれんぼ。」について、いろいろ説明をさせていただきました。

私の現在の作品と視覚的には大きな違いがありますが、そこには共通した「絵画構造へのアプローチ」があることが、少しでもお伝え出来たとしたら幸いです。

 

 

 

<「かくれんぼ。」正面、左右側面、上面の動画>